「寄付」にも「ボランティア」にも「マーケティング」を

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マーケティング不足」と一言だけブコメを書きましたが、言葉足らずだと思うので補足を。

世の中の売買は、等価交換が原則です。
現金500円を渡して、500円の価値があるクッキーを手に入れる。
この原則が崩れた取引は、どちらか一方が必ず損をすることになるため、正しい取引とはいえません。*1

 等価交換の原則が崩れた不平等な取引の問題点は、持続性が乏しいことにあります。
自分が損をする取引を、何度も繰り返したいと考える人はほとんどいません。
ですから、そのような商売が長く続くことはほとんどないと考えるのが自然です。

マーケティングという言葉の定義は非常にふわふわとしていますが、大まかに「顧客が認める価値を作り出すこと」だと言って良いかと思います。
現金500円とトレードしたいと思うならば、顧客が500円の価値があると認める商品を作り出さなければならない。それがマーケティングの考え方でしょう。

マーケティングの考え方は、いわゆる通常の「売買」だけではなく、例えば「ボランティア」であるとか「寄付」であるとか、一見すると「等価交換」ではないように思える取引に対しても応用可能なものだと思います。
「1時間の労働」という対価を支払った参加者に対して、それに見合うだけの充足感・満足感や社会的承認などの「価値」を提供できれば、参加者は1回だけではなく何度もそのボランティアに参加しようと考えてくれるでしょう。
寄付についても、得られる充足感・満足感が大きければ大きいほど、対価としてトレード(等価交換)してもらえる金額は大きくなっていくでしょう。

モノが売れないという状況の本質には常にマーケティングの失敗、あるいはマーケティングの不足が存在するはずです。
顧客が欲しいと認める価値を生み出すこと、つまりはマーケティングをおろそかにしては、持続性のある平等な取引(等価交換)による事業の継続は成立し得ません。

障害者作業所の商品については、門外漢である自分が「こういう風にマーケティングをすればいい」と安易にアイデアを出しても的外れになるだけでしょう。ですからブコメには簡潔に「マーケティング不足」とだけ書きました。

あまりにも言葉足らずだったかと思い、この文章を書きましたが、やはり門外漢が適切なマーケティングのアドバイスをすることは難しそうです。

ただ、マーケティングという言葉を「お菓子メーカーとコラボ」や「現役パティシエによるお菓子の開発」、「パッケージのデザインの工夫」などのように狭く捉えるだけではなく、より広い意味で「顧客の価値を生み出す活動全般」だと捉えた方が、商品づくりの可能性は大きく広がるのではないでしょうか。

「寄付してくれ」では付加価値が足りないというブコメもありましたが、前述のように寄付であっても、それに見合った(充足感・満足感や社会的承認などの)価値を提供しているのであれば、それは立派な「等価交換」です。 

利用者さんは1万円にも満たない工賃を毎月楽しみにしてくれています。
作業所の商品は経費を除いてすべて利用者に還元するようになっています。
だから障害者作業所の商品を買ってください。 

例えば、施設の商品を買うお客さんに、この実情がどれだけしっかりと届いているでしょうか。
自分が一枚のクッキーに払ったお金が、どれだけ利用者の方たちの楽しみ・喜びに繋がっているのか。それを知らしめるだけでも、顧客の得られる満足感という名の価値は、大きく変化するはずです。

もちろん「そんなことは既に取り組んでいるよ」と思われるでしょうし、私も素人の浅知恵だとは承知していますが、そういった活動もまた立派な「マーケティング」だということを理解して意識的にアプローチすることで、より積極的に「(言い方は悪いですが)同情を買う」仕掛けを躊躇いなく打てるようになるのではないでしょうか。

作業所内の様子をPRしたり、利用者の方の手書きのメッセージカードを付けたり、そんなありきたりの施策も立派なマーケティングの一環ではありますが、できればより大掛かりに、顧客の「虚栄心」や「自己満足の心」を煽りまくって満足させてあげる何らかの方法が考えられないものでしょうか。
個人的な直感ではありますが、そこには営利企業である一般のお菓子メーカーでは生み出すことのできないユニークで大きな価値の生まれる可能性が秘められていそうだと思います。

 

*1:ちなみに企業の利益は売買によって生まれるのではなく、製造(商品作り)によって生まれます。
500円のクッキーを300円のコストで製造する。そこで生まれた差額の200円が企業の利益となります。
クッキーと現金をトレードする段階で利益が発生する訳ではありません。