憲法改正の議論が加速しそうな政治情勢となってきている。
これについて思うところは色々とあるのだが、特に一点、これだけは言っておきたいと思うことがあるので、それを主張しておきたい。
【改正案の中に素晴らしい条文が99個並んでいたとしても、問題のある条文が1個存在しているならば、その改正を承認してはならない】
それが、私が憲法改正議論の前提として、最も重要だと考えている事柄だ。
改正案の中に問題がある条文が1個でも含まれているならば、躊躇うことなく改正反対に票を投じなければならない。
なぜならば、仮にそれで改正が否決されたとしても、99個の素晴らしい条文までが否定されたことにはならないからだ。
問題のある1個を修正した上で改めて改正案を投票にかければ、99個の条文が死んでしまうようなことは起こらない。
失われるのはスピードだけ。ただ、改正のタイミングが少し遅くなるだけだ。
だから、わずかでも疑念の残る条文が改正案の中に含まれるならば、そのときは躊躇することなく否決の側に天秤を傾けるのが賢明な判断になる。
これは普段の意思決定で正解とされるスタンスとは異なる判断基準であり、そこに違和感を覚える人もいるかも知れない。
世の中で通常行われる意思決定の多くは、仮に間違った決定を下してもそれを後から修正することが可能であり、その場合にはスピードを重視して「99のプラスと1のマイナスを相殺して98のプラスを目指す」という判断も下し得るケースが確かにある。
しかし、憲法改正はそうではない。
なぜなら憲法改正は不可逆的変化をもたらす可能性があるからだ。
一度の決定が不可逆的な変化をもたらす場合、そこでは何にも増して慎重さが重視される。
たった一つのマイナスが紛れ込んだとき、それを取り除くために想像を絶するような代償を求められる可能性もあるからだ。
だから、そのような毒が紛れ込まないよう極めて慎重に、わずかのミスも見逃さない態度が重要となってくるのだ。
最も恐れるべきは、99個の素晴らしい条文に目眩ましをされるような格好で、1個の危険な条文がろくに注目されることもなく承認されてしまうことである。
更に言うならば、危うい条文を可決させようと目論む者は、意図的に99個を迷彩として使用することも考えられる。
こうしたリスクを回避するために重要になってくるのは、実は「改正案に反対する側」のスタンスだ。
改正案に反対する者は、素晴らしい条文と問題のある条文のメリットとデメリットを足し引きして総合点で論理を組み立ててはいけない。
また、改正案が否決されたとき、鬼の首を取ったように「問題のある条文が国民から否定された」と勝ち誇ってはいけない。
否決されたのはあくまでも改正案全体であり、個別の条文ではないからだ。
仮に改正案が否決されたとしても、それが国民による個別条文の否定であると主張するのは避けねばならない。
「改正の否決=100個の個別条文の否決」というロジックで反対活動を行わないこと。
改正の否決は、あくまでも「100個の条文パッケージの否決」であって、その100個の中には素晴らしい条文が含まれていた可能性を否定してはいけない。
「100個のうち99個は素晴らしい条文であった可能性」を留保し、一度は否決された改正案がわずかに部分修正されて再度投票にかけられることを許容しなければならない。
修正による再審議を許容すること。
それがあるからこそ、我々はたった1個の問題点が含まれることを理由に、堂々と改正案を丸ごと否決する正当性が担保できるからだ。